◇●◇●◇「バーチャル歴旅」〜史料館架蔵史料の紹介〜vol.9-2(その1)◇●◇●◇
by ブログ管理者
本日は、昨日ご紹介した「武庫川両岸切れ所図」内田繁
氏文書/尼崎市立地域研究史料館蔵)について、特に水
害のようすを中心にご紹介したいと思います。
慶応元年(1865)閏5月29日昼八つ過ぎ頃、武庫川堤防が決
壊しました。堤防が切れた場所は武庫川でももともと水
の勢いが強い場所でしたが、この日まで連日大雨が続い
ており、武庫川の水勢はさらに強くなっていったようで
す。そして最初に東(絵図の右側)の堤防が決壊し、現
在の尼崎市域が最初に被害を受けました。引き続いて西
の堤防が決壊、西宮市域に被害をもたらします。
絵図に描かれている範囲では、北から守部・山田新田・
西大島などの各村は床上浸水、今北・東大島などは床下
浸水と、甚大な被害がありました。武庫川より溢水した
水ははるか尼崎城下までも達したといわれ、被害の大き
さがうかがわれます。
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