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◇●◇●◇「バーチャル歴旅」〜史料館架蔵史料の紹介〜vol.10-2(その1)◇●◇●◇

by ブログ管理者

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前近代史料をご紹介しながら、尼崎市域のまちの歴史を
振り返りつつ時空を超えたバーチャル「旅」をしてしま
おう!というこの企画。昨日に引き続き「善法寺(ぜん
ぽうじ)村絵図」(太田善夫氏文書)をご紹介します。
とてもカラフルな村絵図ですが、多くの色を用いて絵図
を作成されているのは理由があります。近世には善法寺
村は相給村落でした。相給は、ひとつの村の領地を、二
人以上の領主がわけて治めている状態をいいます。
善法寺村の場合、村高224石余のうち、大部は近世を通じ
て領主がめまぐるしく交替し、幕府領・大坂城代領・京
都所司代領などとなっていました。絵図の凡例では「元
古料」と表現されています。
一方、小部は天正年間(1573〜1592)から旗本平野氏(長
重系)知行所でした。同じく凡例では「元平野領」とあ
ります。田・畑・荒地・居屋敷(集落)それぞれについ
て、領主支配の違いもわかるように色分けされているた
め、カラフルな絵図となっているんですね。


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