◇●◇●◇「バーチャル歴旅」〜史料館架蔵史料の紹介〜vol.14-2(その2)◇●◇●◇
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さて、この商人たちの冥加銀上納の動きは、綿生産者の
百姓達からの反対にあっており、願いが聞き届けられた
のかどうかは残念ながらわかりません。もっとも、時代
が下り幕末期近くなると、史料で登場している町方やそ
の近在の「繰屋」は徐々に排除され、綿流通は生産地の
村々にいる商人(在郷商人)が担うようになっていたよ
うです(『尼崎市史』第2巻)。
近代以降、大阪、尼崎で大規模な紡績工場の設立が相次
ぎますが、江戸時代の大阪・阪神地域での盛んな綿花生
産がその前提にありました。この史料からもその一端が
うかがえます。
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