「五人遊女塚由来絵巻物」 大正5年(1916)小野利教画・文(地域研究史料館蔵、田中大庄次郎氏文書(3))

18世紀末刊行の『摂津名所図会〔ずえ〕』は、建永2年(1207)法然上人が讃岐国に流される途中、神崎の津(川の港)で
宮城ほか5人の遊女が上人に身の罪業〔ざいごう〕の深さを懺悔〔ざんげ〕して入水〔じゅすい〕したとの伝説を記しています。
もと神崎にあった尼崎寺町の如来院が元禄5年(1692)に建立したと伝えられる「遊女塚」が、今も神崎の地に残っています。