東・西両荘分立後の椋橋荘比定地
地域研究史料館蔵、昭和48年航空写真より
写真中の地名は、旧大字地名

椋橋荘は、少なくとも12世紀中頃には東・西両荘に
分立します。それぞれの境域は不明ですが、東荘は
庄本を中心とし、西荘は椎堂・富田・穴太・法界寺・
善法寺・高田・神崎周辺の地域に比定されます。