手繰今井船の図(『和漢船用集』より)

尼崎在住の今井道伴が造り出したという説や、堺の豪商・今井宗久と
結びつける説があります。天道船よりも小型で速度が出ることから、
鮮魚を運ぶ船として利用され、尼崎城下では天明8年に9艘、天保9年
に12艘ありました。