伊丹親興

いたみちかおき
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  ? - 1574年(天正2)

  戦国時代の武将。摂津国国人で伊丹城城主。管領細川晴元に属したが、1541年(天文10)9月、木沢長政と共に晴元の部将三好長慶に反して、摂津国一庫城の塩川政年を援けた。1545年には晴元・長慶に協力して細川氏綱らと戦うが、1549年には長慶と敵対してたびたびその攻撃を受けた。1566年(永禄9)5月には、松永久秀に属して池田勝正を攻撃したが、同年9月久秀に背き足利義親(義栄)に降った。1568年織田信長が足利義昭と共に畿内を平定するとこれに降り、池田勝正・和田惟政と共に摂津三守護の一人となった。1573年(天正元)ころから信長と対立し、1574年11月15日、信長の命を受けた荒木村重に伊丹城を攻撃され落城、自殺したと伝えられる。なお、落城時の城主は伊丹忠親であったとする説もある。

執筆者: 森田恭二

参考文献

  • 『伊丹市史』第2巻 1969
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