国家総動員

こっかそうどういん
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  1938年(昭和13)4月国家総動員法公布にともない、勅令にもとづき「人的及物的資源」の政府による統制運用がはかられ、経済統制、思想統制の両面にわたって戦争協力体制が強化された。この結果、尼崎地方でも、1941年4月の主食の配給、1942年2月の衣料品の配給開始などで市民の消費生活は圧迫され、1939年3月の初任給統制に始まって実質賃金の激減を招き、1941年秋以降、小売商人の転廃業、軍需工場への徴用がすすみ、1942年末には衣料品店の転廃業は過半数に及んだ。1943年秋の婦人の勤労動員開始についで、1944年5月には中学校・女学校・工業学校などの生徒の軍需工場動員が始まった。住友金属など超大企業が政府の重点融資でうるおった点を除けば、市財政・村財政は窮迫し、市民生活は破壊され、軍需生産も低下して、思想教育の最も徹底する勤労動員生徒にも怠業のきざしが現われた。

執筆者: 岩村登志夫

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