娯三堂古墳

ごさんどうこふん
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  池田市綾羽2丁目にある前期古墳。五月山塊の中腹、南方へ派生する標高110mの尾根上に築造されている。墳丘は径27m、高さ5mの円墳。内部主体は墓坑に竪穴式石室と粘土槨が二棺並列して構築され、墓坑より西方に向かって排水溝が設けられている。竪穴式石室はベンガラを塗布した石英粗面岩で、全長5.84m、幅は東北側で0.9m、西南側で0.75mを測る。石室の基底部構造は、墓坑面中央部に直接棺床粘土を敷くものであるが、使用される粘土は礫〔れき〕混じりで、また、非常に薄く、近隣の池田茶臼山古墳と比べてやや簡略化したものである。墳丘は2段築成で、地山を整形して築いている。茸石、埴輪〔はにわ〕列は認められない。副葬品は、1897年(明治30)に発掘された際に画文帯神獣鏡、石釧〔くしろ〕、管玉、鉄剣、鉄刀、鉄斧〔てつおの〕、および土師器〔はじき〕の小型甕〔かめ〕も出土している。なお、墳丘のほぼ中央には破砕帯に沿う地滑りが生じ、墳丘および石室の東側半分がずり落ちている。本墳は、副葬品、石室の構造および墳丘の状況からみて、近隣の池田茶臼山古墳に後続して築造されたものと考えられるが、墳丘の縮小、変化から、当地域の勢力の衰退を物語るものと推定される。

執筆者: 田上雅則

参考文献

  • 池田市教育委員会編『娯三堂古墳』 1992
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