明石城

あかしじょう
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  平山城。1617年(元和3)小笠原忠真は明石10万石に入封し、1585年(天正13)にキリシタン大名高山右近が築いた明石城(船上城〔ふなげじょう〕は後世の俗称、平城)に入ったが、同城は一国一城令により屋敷構えになっていたので、1618年幕府は忠真に築城を命じた。塩屋・和坂〔かにがさか〕・人丸山の3候補地のうち、幅4kmの明石海峡を押える人丸山に決し、幕府は築城費銀1,000貫目を給した。1619年正月に着工。本丸・二ノ丸・三ノ丸の普請は幕府直営。宮本武蔵は樹木屋敷を作った。明石町割図も作ったと伝える。忠真は築城のとき、将軍秀忠の命によって岳父本多忠政の協力を得、姫路城と新築の尼崎城の間に築いたので、三段構えの軍事力が西国諸大名ににらみを利かせた。1631年(寛永8)正月明石城炎上し再建。1632年忠真は豊前小倉に転封。1633年戸田康直が明石7万石に入封。姉は尼崎城主戸田氏鉄夫人で両藩の関係は密接となった。1634年甥の光重が康直の後を嗣いだ。1682年(天和2)筑前家松平直明が明石6万石に入封。のち8万石(格式10万石)に加増、維新に及んだ。隅櫓2棟は重要文化財に指定されている。

執筆者: 黒田義隆

参考文献

  • 黒田義隆『明石市史』 上巻 1960
  • 『明石公園百年史』 1987 明石公園百年史編集委員会
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