柄在家

からざいけ
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  役人・柄在家という農民の身分別を示す称呼は、遠江国掛川藩青山幸成の尼崎入封とともに、1635年(寛永12)尼崎藩領に持込まれたとみられる。当初、役人は分家百姓(隠居といった)や家持下人を従える本家身分の百姓で、領主に年貢だけでなく夫役をも負担する身分のものをいった。柄在家はその役人が没落し、夫役を負担する能力を失った者の称呼である。しかし夫役徴収の比重が減じ、また本家・分家の身分・従属関係が薄れていった17世紀後半以降、役人と柄在家の別は持高の多寡、階層別を示すものに変わっていった。すなわち役人は一定以上の高を持つ者、柄在家は基準以下の持高しかない夫役負担なき階層=水呑を指す称呼となった。

執筆者: 八木哲浩

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