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出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  園田地区の大字。市域北部、本村上坂部の西に位置する枝村で、新家村とも称した。慶長年間(1596~1615)以前に開発され1608年(慶長13)村として成立、1685年(貞享2)ころ分村した。本村と同じく旗本船越氏(維貞系)の知行所であった。村高は1788年「天明八年御巡見様御通行御用之留帳」(『地域史研究』第1巻第2号・第3号)、1838年(天保9)「巡見使通行御用の留」(『尼崎市史』第6巻)ともに464.335石とある。郷帳類のうえでは高が上坂部に含まれている。三平井組に属した。寺院は浄土真宗本願寺派専念寺。

  1889年(明治22)以降は園田村1947年(昭和22)以降は尼崎市の大字となった。1920年阪急電鉄の神戸線・伊丹線開通と同時に塚口駅が開設された。1970年の住居表示により南塚口町の一部となったほか、一部が東塚口町・塚口町・塚口本町となり、森という地名は消滅した。

執筆者: 地域研究史料館

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