渡辺津

わたなべのつ
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  淀川河口の摂津国西成郡内の海港。渡部とも書き大江ともいう。摂津国衙に近接、現在の天満橋付近に所在、淀川河上交通は支流の三国川神崎川)の河尻が要港だが、12世紀から渡辺が開かれた。天王寺・住吉詣や高野・熊野詣の上陸地点となったのが繁昌の一因。熊野99王子社はこの地の窪津王子に始まる。源平合戦で土豪武者渡辺惣官が出世したり、河尻に並んで西国年貢米や物資の陸上げ港に発展した。東大寺造営大勧進重源が浄土堂や材木屋敷を開設するなど、南都の門戸港となったのがわかる。1301年(正安3)神崎・渡辺両関の津料春日大社頭勅願読経料として寄進された。この津については、南北朝動乱の始まる1333年(元弘3)の天王寺合戦で六波羅軍を破った楠木正成が蔵米を徴発したり、1347年(正平2)楠木正成が山名時氏を撃破したのが有名。これらの戦いには渡辺惣官も加わった。戦国乱世、本願寺が石山城を占拠したため、細川晴元や織田信長との合戦が当地で相次いだ。

執筆者: 永島福太郎

参考文献

  • 『大阪府史』第3巻 1979
  • 『新修大阪市史』第2巻 1988
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