潮江荘

しおえのしょう
潮江新免より転送)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  鎌倉時代から戦国時代にあった荘園。湖江・塩江とも書く。JR東海道本線尼崎駅の北部、現潮江付近。この地域は奈良時代から東大寺領猪名荘が置かれた地で、鎌倉時代からは複数の領主の支配を受けていた。鎌倉時代には、藤原憲長の所領であった同荘が九条道家に寄進され、さらに道家から一条家に伝領された。永仁年間(1293~1299)以前に一条家領から新免の地(新規に免田となった地)が分割され、京都泉涌寺に寄進されている。室町時代、泉涌寺領は直務〔じきむ〕支配から代官請へ移行し、14721473年(文明2・3)の薬師寺元長の代官、1481年の矢倉兵庫助のような守護代官級の武士が支配した。享禄年間(1528~1532)以降、泉涌寺の潮江新免支配は有名無実化していく。本荘については、一条家関係の史料がないため詳細は不明であるが、1515年(永正12)本所一条家と某景永という人物との間で訴訟があった。通玄寺領は、潮江散在と長洲大物東難波に広がっており、京都の臨済宗天竜寺派の尼寺曇華院〔どんげいん〕が本主であった。1496年(明応5)には地下請が行なわれており、同院領の荘田数は16町(守護方国役分3町含む)であった。1569年(永禄12)、戦国時代末期には伊丹忠親が曇華院領の代官を務めている。この他、鎌倉時代に不動堂(寺名不明)領摂津国潮江荘と称した別の寺領が当地にあったことがわかる。

執筆者: 田中勇

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