生島郷の宮座

いくしまごうのみやざ
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  生島郷は近世初期に上之島栗山大西三反田の4か村に分かれたが、おそらく生島開発にかかわった家筋であろう。4か村から各2軒ずつの生島座敷衆が出て、八人衆で島座という生島社宮座(郷座)を構成していた。18世紀に入って各村4軒ずつで構成されるようになり、幕末期にはさらに座衆の数は上之島5名、栗山6名、大西4名、三反田5名計20名となっている。近世に入って各村で、島座とは別に、それに加わっていない村人(本百姓)で構成する斎之当といわれる宮座が生まれるが、島座はこれとは別に中世に生まれた古い家筋の者で構成される宮座、郷座であった。

執筆者: 八木哲浩

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