細川氏

ほそかわし
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  室町・戦国時代から江戸時代にわたる大名家。清和源氏足利氏の庶流で、足利義季〔よしすえ〕が三河国細川に居住したことから姓とした。足利尊氏の挙兵にさいし、義季の孫公頼の子和氏〔かずうじ〕と頼春および公頼の甥の顕氏〔あきうじ〕らが従軍してすぐれた功績を挙げ、とくに紀伊・四国を北軍で固めた恩賞として一族は四国一帯の守護に任ぜられた。頼春の子頼之が管領であった1373年(応安6)11月、頼之の弟頼元が初めて摂津守護に任ぜられ、以後戦国末期まで約200年に及ぶ細川氏の摂津支配が始まった。1379年(康暦元)4月政変によって頼之が没落し、頼之は一時守護職を失うが1383年(永徳3)には復活した。以後頼之の一流が総領家(京兆家)として嗣子相承して摂津・丹波・讃岐・土佐4か国の守護職を世襲し、戦国末に至った。別に庶流家が淡路・備中・阿波・和泉の4か国を支配し、その分国数は8を数える。惣領家は最後の昭元〔あきもと〕で断絶して分家の和泉守護細川元常が名跡を継承し、元常の子藤孝が近世肥後藩主の祖となった。

執筆者: 今谷明

参考文献

  • 小川信『足利一門守護発展史の研究』 1980 吉川弘文館
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