部落解放同盟尼崎市連絡協議会

ぶらくかいほうどうめいあまがさきしれんらくきょうぎかい
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  戦前以来の部落解放運動の伝統を受けついで、1946年(昭和21)2月に部落解放全国委員会が結成され、1955年8月には部落解放同盟と改称した。1966年、同対審(同和対策審議会)答申完全実施国民大行進が尼崎に来たとき、尼崎の女子高校生が「1人当り2.5畳以上ない」家庭の子女は就職試験を受験出来ないという就職差別にあっていた。このことがきっかけとなって住宅闘争が展開された。この闘争を展開したのは、1963年7月に結成された部落解放同盟今北支部であった。(今北支部は尼崎支部とも称し、後に全解連尼崎市協議会となっていく)。1970年9月には戸ノ内支部が結成された。支部結成の背景には、警察の予断と偏見による暴行事件、警察署員の差別発言に抗議する闘争があった。1973年5月に部落解放同盟兵庫県連合会が発足し、同年3月神崎支部、5月上ノ島支部、8月塚口支部、9月水堂〔みずどう〕支部、守部支部(のち1975年に南武庫之荘支部と改名)、11月東今北支部結成。尼崎各支部を統合する部落解放同盟尼崎連絡会(尼連会)が1973年12月に発足した。1977年5月同連絡会は部落解放同盟尼崎市連絡協議会(尼連協)と改組された。尼連協は各支部とともにその後、高校全入闘争・住宅闘争・奨学金闘争・狭山闘争・西宮市差別行政糾弾闘争・八鹿高校差別教育糾弾闘争・尼崎育成調理師学校差別糾弾闘争(1975年)・差別落書き糾弾闘争など、部落の完全解放をめざして、取り組んできた。

執筆者: 辻正博

参考文献

  • 『尼崎部落解放史』本編・史料編2 1988・93 尼崎同和問題啓発促進協会
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