阪本幸庵

さかもとこうあん
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  1710年(宝永7)正月18日 - 1781年(天明元)5月5日

  名は宣胤、播磨国宍粟郡上寺村(現宍粟市山崎町)河合柳益の子として生まれ、1745年(延享2)7月36歳のとき、阪本順庵没後の阪本家を嗣いだ。幸庵は順庵の後、尼崎藩主松平忠喬をはじめ、忠名忠告の侍講として仕え、25人扶持、薬種料10両を給されたが、1752年(宝暦2)新知130石を食むにいたった。晩年、藩士教育を主とした家塾鳳尾塾を設けた。1770年(明和7)から1777年(安永6)の間、幸庵が藩の内外に関することを日記風に記録した「坐隅漫筆」は、この時期の藩政の動向を知ることのできる好史料である。

執筆者: 竹下喜久男

参考文献

  • 岡本静心『尼崎藩学史』 1954 尼崎市教育委員会・尼崎藩学史出版協会
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