1870年

出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
世紀:18世紀 - 19世紀 - 20世紀
年表 10年紀:1850年代 1860年代 1870年代 1880年代 1890年代
周辺の年:1867年 1868年 1869年 1870年 1871年 1872年 1873年

明治3年

  • 1月16日 - 尼崎藩中谷雲漢を督学として藩校正業館を開校した。
  • 3月2日 - 尼崎藩の公用人は、尼崎城総郭の囲塀営繕費用が毎年多額にのぼるので徐々に土堤に改築したいと新政府に願った。
  • 3月8日 - 尼崎藩知事桜井忠興が、播磨国多可郡の管轄地巡見に出発した。
  • 3月13日 - 尼崎藩の民事所は、藩への願書類のあて名に民事・社寺・宗門・商船・堤防の各役所名を記すようにと触れた。
  • 3月19日 - 尼崎藩知事が播磨国赤穂・宍粟両郡の管轄地の巡見に出発した。
  • 4月26日 - 尼崎藩知事が城下一円を巡見した。
  • 6月18日 - 尼崎藩の諸役所が尼崎城本丸内に移転した。
  • 6月 - 神戸-大阪間で鉄道線路の点検・測量が開始された。
  • 8月20日 - 阪神間に電信線が架設され、大阪・兵庫両電信局が開局した。
  • 8月 - 摂津・河内両国328か村の下屎方総代たちは、大阪市中四大組月番たちとの間で下屎引取り値段ほかについて規則書を定めた。
  • 9月10日 - 政府が「藩制」を布告した。
  • 10月7日 - 尼崎藩は、鉄道線路予定地の決定にともなって農民の不安が高まってきたため、その潰地などの処置について政府に伺書を提出した。
  • 10月13日 - 尼崎藩の民事所は、府県発行紙幣の廃止にともない兵庫県銭札および堺県銭札の引替え期日についての大阪府触書を城下町内に回達した。
  • 10月18日 - 尼崎藩は政府布告の「藩制」にもとづき、大参事以下の新しい職員を任命した。
  • 閏10月1日 - 尼崎藩の民事所は、平民の苗字使用を許可する太政官触を城下に回達した。
  • 閏10月9日 - 中山信彬が兵庫県権知事に任命された。
  • 閏10月 - 土屋泰次郎が尼崎藩の推薦によって大学南校の貢進生となった。
  • 11月1日 - 尼崎城下貴布禰社で伊勢ガ浜染五郎の相撲があり、城下番町は城下惣代たちのさじきを取り金200疋を負担した。
  • 11月5日 - 尼崎藩は、町方の諸商人・職人のうち不当な高利売買をしたり賃銭相応の仕事をしない者について、株の取消しなどもって厳しく取り締まると触れた。
  • 11月7日 - 尼崎藩は、城下小前町人らの名主・惣代廃止の噂を厳しく取り締まるように惣町の名主・惣代に命じた。
  • 11月12日 - 尼崎藩は、城下小前町人たちが先の諸商人・職人の賃銭取締り触を諸株廃止と誤解しているとして、各町役人に小前町人への申渡し方を問い糺した。
  • 11月13日 - 政府は「徴兵規則」を各府県に布達した。
  • 11月26日 - 築地町の名主・組頭中は、町役人寄合のさいの無益の酒飯等を今後廃止するよう各町役人へ申し入れた。
  • 11月28日 - 兵庫県は、徴兵規則を管内の摂津・播磨の町村に布達した。
  • 12月23日 - 築地町の総代・組頭は、不漁のため漁師達が困窮しているとして御肴銀の減額を尼崎藩に願った。
  • 12月24日 - 城下惣町惣代中は、鉄砲組扶持米の負担分を支払わないとして三反田村吉井文右衛門から尼崎藩に訴えられた。
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