上島鬼貫

うえしまおにつら
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  1661年(万治4)4月4日 - 1738年(元文3)8月2日

  名は宗邇〔むねちか〕のち秀栄〔ひでのり〕。終生使用した鬼貫の他にも、螺々哩〔ららり〕・犬居士〔いぬこじ)・馬楽童〔ばらくどう〕・仏兄〔さとえ〕など多くの俳号をもつ。伊丹の酒造家油屋の一族上島宗次の三男として出生。家譜の「上嶋譜」によると、同家は1538年(天文7)に河内石川から摂津塚口へ移り、宗次の父直宗の代の文禄年中(1592~1596)に、さらに伊丹に移住している。鬼貫出生当時の伊丹は酒造業が盛んで、その旦那衆を中心に風流事が行なわれ、鬼貫も幼少から俳諧を嗜んだ。1685年(貞享2)、学問のため大坂へ出、1687年には武門志願のため筑後三池藩に出仕するなどした。俳諧については「誠の外に俳諧なし」と開悟し、「誠」を基調に、詞やすがたにとらわれない率直でかつ俗語をも巧みに取り入れた洒脱な句風をうち立てた。大坂で没し、鳳林寺に葬る。法名即翁。尼崎の俳壇への鬼貫の影響についてはあまり明らかでないが、1740年(元文5)の鬼貫追悼集『月の月』に猪名寺村の遊起と、「即翁は風雅の手だれにして、近郷遠県、誹(俳)に心をよするもの、此人をしらぬはなし」と前書した同村の些及の句が入集する。

執筆者: 今井美紀

参考文献

  • 『伊丹市史』第6巻 1970
  • 岡田利兵衛『鬼貫全集三訂版』 1978 角川書店
  • 櫻井武次郎『伊丹の俳人 上嶋鬼貫』 1983 新典社

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