伊丹郷町

いたみごうちょう
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  川辺郡の内。中世国衆伊丹氏の居館の館町として発展した伊丹村を中心に、付近14か村が拡大し形成された15か村からなる在郷町で、その成立は荒木村重時代の天正年間といわれる。村重の反乱後池田氏の領地となり、1583年(天正11)池田氏の転封後はおそらく秀吉の直轄領となった。大坂の陣後は徳川氏の直轄領。1661年(寛文元)10か村が近衛家領となり、多少の変遷の後1711年(正徳元)、12か村が近衛家領として固定し、1871年(明治4)までその支配が続いた。郷町の経済を支え発展させたのは江戸積み酒造業の展開である。特に17世紀後半から18世紀初めに飛躍的な発展を遂げ、それにともない町場が拡大し、郷町全体の発展をみた。石高は、1617年(元和3)1,890石余(摂津一国高御改帳/『地域史研究』第8巻第3号)。戸数・人口は、1803年(享和3)3,000戸、9,000人。1836年(天保7)2,500戸、1万人。1832年には高10万6,758石、酒造家85人を数えたが、このころから衰退傾向をしめし、有力酒造家が没落していった。町政は酒造家から選出された惣宿老を頂点とし、町庄屋・町惣支配年寄がそれを補佐し、その下に伊丹町を構成する各町の年寄と各村の庄屋がおかれた。町政の審議または処理機関として町会所が設けられていた。

執筆者: 石川道子

参考文献

  • 『伊丹市史』第2巻 1969
  • 鶴美子「近世伊丹の町政組織について」『地域研究いたみ』第9号 1978 伊丹市立博物館
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