下食満

しもけま
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  園田地区の大字。市域北東部、藻川の西岸、上食満中食満の南に位置する。史料上の初見は1605年「慶長十年摂津国絵図」で、「下飯満」と記されている。

  近世初期には幕府領または大坂城代領で、1649年(慶安2)武蔵国岡部藩安部氏(信真系)の領地となった。1662年(寛文2)同氏から分知された旗本安部氏の信秀系と信直系が半分ずつ領有することになり、1708年(宝永5)信直系知行所が幕府領となった。村高は「慶長十年摂津国絵図」に297.71石、「元禄郷帳」に300.245石、「天保郷帳」に339.33石とある。内井組三ツ又井組に属した。氏神は稲荷神社(近世には稲荷大明神社)、寺院は浄土宗西明寺。村の芸能として食満の獅子舞が伝えられている。

  1889年(明治22)以降は園田村1947年(昭和22)以降は尼崎市の大字となった。1961年の町名改正と1991年(平成3)の住居表示により東園田町と食満の一部となったほか、一部が田能・瓦宮となった。

執筆者: 地域研究史料館

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