初島

はつしま
初島新田より転送)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  平安末期以来、神崎川の河口に浮かぶ島の風景は浦の初島と呼ばれ、数々の詩歌に詠まれる名所であった。近世に入ると正徳享保年間(1711~1736)に築地町松島の南に初島新田が開発され、1742年(享保9)高入れされた。尼崎藩領でもとは川辺郡に属した。1788年「天明八年御巡見様御通行御用之留帳」(『地域史研究』第1巻第2号・第3号)には石高200石、家数16軒、人数91人、通船9艘、1838年(天保9)「巡見使通行御用の留」(『尼崎市史』第6巻)には石高200石、22軒、114人、艜〔ひらた〕船10艘とある。氏神は稲荷神社。

  1880年(明治13)に大洲村の一部となり、1930年(昭和5)の町名改正で大洲村が消滅、北初島町・南初島町・東初島町となった。明治期には尼いも(甘藷)の特産地であった。また畑砂慣行という近世以来の永小作権があり、その存続をめぐって明治期後半から大正期にかけて紛争が続いた。明治末年以降東亜セメント日本麦酒鉱泉などが建設され工業地帯化し、1936年(昭和11)には朝日化学肥料の悪ガス問題がおこった。

執筆者: 地域研究史料館

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