尼崎郡代

あまがさきぐんだい
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  尼崎およびその付近の豊臣氏直領3万石を預かり、尼崎城に在勤した地方官。1584年(天正12)ころ建部高光が秀吉直領を預かったのが最初。1600年(慶長5)の関ヶ原の戦いののちも秀吉の遺領は秀頼に継承されたので、高光は尼崎郡代の地位を持続し、1607年高光没後も子の建部光重がその職を引継いだ。ところが光重はわずか3年で死に、その子の建部政長が8歳と幼少であったため豊臣氏は郡代職を没収する意向であった。その時政長は、母の養父池田輝政のとりなしで徳川家康の特別のはからいを受け、豊臣氏の郡代職と知行を継承することができた。「建部家系図」(『尼崎市史』第5巻)は、大坂の陣にさいして政長が徳川方について尼崎を守ったのは、この家康の恩義にこたえてのことと記している。

執筆者: 地域研究史料館

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