川辺郡私立勧業会

かわべぐんしりつかんぎょうかい
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  1889年(明治22)9月11日伊丹町で創立された。その中心となって活動した1人は川辺郡野間村(現伊丹市)の稲垣賢次である。同会規則によると、目的は「汎ク農商工ノ経験知識ヲ交換シテ専ラ該業ノ改良進歩ヲ図ルニアリ」とされ、そのために会員が集会談話講究すること、学者・経験者の演述をきくこと、さらに官の諮問にこたえ建議することなどを挙げているが、同年12月には稲作についての県の諮問に答申している。会員は同年末225人が1891年末には350人に増加し、県下各郡私立勧業会の中では最大であった。特別会員には尼崎町の二代目町長久保松照映、尼崎の商人三浦長平、園田村の大地主小林藤左衛門らが名を連ねている。武庫・菟原〔うはら〕郡にも私立勧業会は設立されているが、1891年末の会員は両郡で71人であった。1890年12月には各郡勧業会の同盟といわれる兵庫県勧業会が設立され、1901年7月には県農会に移行したので、川辺郡勧業会も同1901年2月に設立された郡農会の母体になったものと考えられる。

執筆者: 山崎隆三

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