市外局番06

しがいきょくばん06
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  1893年(明治26)11月2日に尼崎紡績が大阪電話交換局の特別加入区域として電話を設置したのが、市域の電話の始まりである。尼崎地域の電話は民間の経済活動の一環として大阪から引かれた歴史があり、これが戦後の大阪局編入、市外局番06化の前史となった。

  1947年(昭和22)、尼崎市園田村を合併して市域はほぼ現在の広さとなったが、市内の電話は複数の電話局区域が混在しており(下表参照)、交換手を通す手動式のため通話に時間がかかるうえ、通話数の増加で施設の能力も限界に達していた。

  昭和22年尼崎市内の電話局区域
局名区域
尼崎尼崎市、旧大庄村の大部、旧武庫村の大部
立花村の大部、旧園田村の一部
伊丹立花村の一部、旧武庫村の一部、旧園田村の大部
西宮大庄村の一部、旧武庫村の一部
仁川旧武庫村西昆陽地内田近野
このほか淀川局など大阪府内の局から回線を引いている加入者も少なからず存在した。尼崎市の戦後復興の過程において電話の復旧は課題のひとつであり、通信施設の整備拡充とともに市内電話局区域の統一が望まれるようになる。また1949年頃の一日の通話総数3万通話中1万が市外通話、うち6,500が大阪への通話であったことから、市内全域の大阪局管内への編入要請も同時に高まることとなり、市・商工会議所などによる近畿電気通信局への陳情も行われるようになった。

1954年に完成した尼崎電話局(1950年代撮影)
1954年に完成した尼崎電話局(1950年代撮影)

   このように電話施設の整備・拡充が望まれるなか、日本電信電話公社は1953年に8億円の予算で尼崎市での自動式電話局開設を計画し、管轄区域を阪急以南地域、回線数は5,000回線とした。これに対し尼崎市は回線容量の増加(8,000回線)、市内電話局区域の統一、大阪局管内への編入を要望したが、電電公社側は2億2,600万円の電信電話債券引き受けを計画の変更条件とした。1953年10月7日、尼崎市議会において電電公社との契約を議決し、債券引き受けが決定。そこで市・市議会・商工会議所ほかで尼崎電話施設改善協力会を組織し、利用者・新規申込者、交換台を持つ会社・工場などに債券消化の協力を依頼している。1954年8月1日、尼崎電話局は大阪堂島地区電話局尼崎分局と改称し西長洲字西ノ口(現西長洲町2丁目)の新築局舎に移転、仁川局区域の田近野を除いて市内電話局区域が統一され、自動化と大阪局編入が実現をみた(田近野1958年頃に西宮局に編入されたと考えられる)。尼崎局区域の市内局番は48となった。

   こののち、急増する電話需要に対応するため全国的に市外局番整備が進められるなか、1962年2月4日に大阪局の市外局番が06となったことに伴い、尼崎市の市外局番も06となった。都府県域を越えて同一市外局番という比較的珍しい事例である。同時に市内局番の3桁化が実施され、従来の市内局番48は481となった。

  尼崎電話局と尼崎電報局は1967年9月8日に統合され、尼崎電報電話局となった。

  06区域の電話番号逼迫に対応するため、1999年1月1日午前2時をもって市内局番が4桁化され(従来の市内局番の先頭に6を付加する)現在に至っている。

執筆者: apedia編集部

参考文献

  • 財団法人あまがさき未来協会事務局「府県域を越える電話局番-尼崎の市外局番「06」について」『TOMORROW』第8巻第2号 1993 あまがさき未来協会
  • 日本電信電話公社近畿電気通信局『近畿の電信電話』 1969 電気通信共済会近畿支部
  • 『尼崎商工名鑑 1954年版』 1953 尼崎商工会議所
  • 『尼崎市議会史』記述篇・資料篇 1971・1970 尼崎市議会事務局
  • 『尼崎商工会議所八〇年史』 1992

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