徴用

ちょうよう
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  第2次世界大戦の進行とともに成年男子の軍隊への召集によって都市・農村とも労働人口が急減し、軍需工場の労働力不足となったので、それに対応するため国家総動員法にもとづいて1939年(昭和14)7月公布された国民徴用令により政府命令で国民を軍需工場などに強制的に就業させた制度。まずはじめは同年1月の国民職業能力申告令により登録された一定の技能者を国家業務・政府管理工場に徴用したが、1941年12月の徴用令改正によってそれ以外の民間工場にも徴用できることになった。同年10月には16~40歳の男子、16~25歳の独身女性はすべて登録することとなり、一般の国民が徴用の対象となった。さらに1943年7月労務調整令の改正で軽易な事務、商業など17職種には40歳以下の男子の就業が制限・禁止され、それらの不急部門の従業者の徴用の道が開かれた。同年8月の徴用令改正で被徴用者の移動を命じうることとなり、また同年12月の軍需会社徴用規則によって指定された軍需会社・工場の責任者および従業者はすべて徴用されたものとみなされ(現員徴用)、移動の自由が奪われ強制的に移動が命じられることになった。さらに1944年2月男子は12~60歳、女子は12~40歳に適用範囲が拡張されたが、女子には家族制度維持という観点から強制的な徴用は行なわれなかった。しかし男子禁止職種への代替のため、別に女子勤労挺身隊が結成された。

執筆者: 山崎隆三

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