斎静斎

いつきせいさい
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  1729年(享保14) - 1778年(安永7)正月8日

  通称五右衛門、名は必簡、字は大礼。安芸国沼田郡中調子村(現広島市)に生まれる。荻生徂徠の高弟服部南郭および同じ学統を汲む京都の宇野明霞に師事し、のち京都に講席を設けた。静斎は尼崎藩主松平忠告に客分として迎えられた。尼崎藩儒阪本順庵は静斎と同じ宇野明霞の門弟であり、また阪本幸庵阪本宣業らとも親交があり静斎招聘にかれらがあずかったことは考えられる。静斎は17721776年(安永元~5)藩家老や豪商の邸に滞在し、講説したことが知られる。静斎はさらに出羽山形藩に藩儒として抱えられ、和泉佐野でも講義の機会を与えられている。出生地安芸をはじめ各地に門人数千人があったといわれている。静斎は儒学のほか医学・神道にも通じ、静斎学とも称された。なお静斎の著述は「斎子学叢書」130巻(国立国会図書館所蔵)としてまとめられている。

執筆者: 竹下喜久男

参考文献

  • 岡本静心『尼崎藩学史』 1954 尼崎市教育委員会・尼崎藩学史出版協会
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