明倫堂

めいりんどう
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  幕末期の伊丹郷町内に設けられた郷学。1838年(天保9)伊丹の領主近衛家と、酒造業者を中心とする富裕な町人たちの拠金により設立・運営され、命名は近衛忠熙。大坂の篠崎小竹の梅花社から、上野国沼田藩出身の橋本半介(香坡)が教頭に迎えられ、四書五経の素読や詩文・習字等を教授した。開校に際し、希望者は老若を問わず、店の手代等でも遠慮なく聴講するようにという通達が出されている。伊丹郷町内だけでなく周辺の尼崎藩領の村々から通う者もいた。1856年(安政3)香坡は教頭を同じ小竹門下の金本摩斎に譲ったが、摩斎も1868年(明治元)に辞職、明倫堂もその年のうちに廃校となった。

執筆者: 今井美紀

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