春日社黄衣神人

かすがしゃこういのじにん
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  奈良春日大社では社家(社司・氏人)被官の神人を本社神人(黄衣神人)と国中・国外の散在神人(白人神人が加わる)に分かった。本社神人は、神主(大中臣氏)・正預(中臣氏)・若宮神主(中臣氏)の三長官に分属、三方神人といわれて社頭に常勤、警備や雑用に当たり、その上級神人の神殿守は神事の助勤や庶民の祈祷参仕した。散在神人は浄衣を着して夫役等の雑役に当たった(一部は黄衣神人)。やがて春日社興福寺領荘園内の有力農民や商工人が白人神人の身分を授かり、鎮守の神主にも起用されたが、和泉国や摂津浜崎荘供菜神人、摂津垂水牧などの荘官神人はとくに黄衣神人の身分を与えられた。浜崎荘供菜神人は春日若宮神主家に属して漁撈を職とし、貢進の魚貝のほかは商売を許された。1345年(貞和元)西宮戎祭に鰯売りに出張、場銭をとる西宮社人を刃傷したため大事件となった例がある。供菜神人は供祭神人とも記されるが、供菜が正しい。

執筆者: 永島福太郎

参考文献

  • 永島福太郎「摂津浜崎神人と魚貝商業」『関西学院史学』第4号 1957
  • 村岡幹生「中世春日社の神人組織」『立命館文学』第521号 1991
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