本興寺

ほんこうじ
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  寺町にある法華宗(本門流)の大本山、1420年(応永27)日隆開基。京都本能寺とならんで法華宗の大寺であった同寺は、中世から広い寺域をかまえ繁栄したものと推測される。別所村の村名は本興寺の別所(寺院に付属する周辺地)に由来するという説がある。本能寺が洛中の布教伝導を目的としたのに対して、本興寺は教学の根本道場であり、日隆は寺内に勧学院という教育機関を設置した。天文年間(1532~1555)以降、豊富な財力を背景に細川晴元など戦国大名への資金上納や、尼崎地下人への貸銭などを行なっており、信長はじめ多くの戦国大名が本興寺に禁制を出し、その権益を保護した。

  近世尼崎城築城にともない、城地にあった本興寺は1617年(元和3)に寺町に移転したと考えられる。近世には勧学院は尼崎檀林とも呼ばれ、1914年(大正3)に沼津の光長寺檀林と合併して本門法華宗学林と改称、1941年(昭和16)にはさらに法華宗興隆学林と改称、1948年に枚方の大隆寺に移転し、1973年に尼崎に復帰し、1984年学校法人法華学園興隆学林専門学校となり現在に至っている。この間、1941年4月には学林教授ら6人が教義綱要の不敬容疑で検挙されるという戦時宗教弾圧を受けた。現在も市域の寺院のなかでは最大の規模を誇り、日蓮の戒刀と伝えられる数珠丸恒次や、日隆上人坐像をはじめ建物・石像遺品など数々の文化財を今に伝えている。

執筆者: 地域研究史料館

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