梶源左衛門

かじげんざえもん
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  1840年(天保11)9月29日 - 1920年(大正9)9月20日

  明治期、旧尼崎町の中在家の事業家・大地主。本咲利一郎とならぶ富豪であったが1901年(明治34)破産没落した。1888年尼崎町とその周辺で5町歩余の田畑と町内に1,300坪の宅地を所有していたが、1898年には地価2万円(約40町歩に相当)の所有に拡大している。1887年には川辺馬車鉄道(のち摂津鉄道)の発起人となり、1889年には尼崎紡績の創立委員となったが、1891年には取締役を辞し持株をすべて売り払って尼紡とは関係を絶った。その後1892年に尼崎倉庫、1893年三収組と尼崎融通会社(のち尼崎共立銀行)を創立した。また同年出願された神阪電気鉄道(後年阪神電鉄として実現)の発起人にも名を連ねた。1879年の町村会規則による尼崎町会議員に当選歴任したあと1889年町村制による一級議員に当選したが翌年辞任した。

執筆者: 山崎隆三

案内
検索

  
ヘルプ
ツール
索引