百間樋

ひゃっけんび
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  井親である旧大市荘5か村(上大市・下大市・段上・高木・門戸村)と下流の9か町村の計14か町村(現西宮市の大半を占める)が利用する武庫川水系の用水路。7,700石余(1728年・享保13)の田地に用水を供給した。取樋口は武庫川西岸の西昆陽田近野地内に、永禄年間(1558~1570)後半ごろ設けられた。対岸には富松井の取樋口が向かい合って設けられていたため、百間樋の井組と富松井組とはしばしば争った。川から引かれた水は、取樋口から約1kmの井溝を通り、仁川の川床下の伏せ樋(暗渠)をぬけて田地に注いでいる。この伏せ樋の長さが百間になることから、百間樋と称されたのであろう。

執筆者: 山下幸子

参考文献

  • 『西宮市史』第2巻 1960
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