辰巳の渡し

たつみのわたし
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  中国街道とは別の、尼崎から大坂への近道として、左門殿川を越えるための渡し。担当は尼崎辰巳町。本街道ではないが、市域にあった渡しのうちでは、庶民が一番多く利用したらしい。1603年(慶長8)9月伊予国藤堂氏の家臣高畑某の妻が、この渡し場で捜し求めていた亡夫(亡父とも)の仇に出会い、忠僕の助けを得て本懐を遂げ、その場で自刃したという「辰巳の仇討」が伝えられている。

執筆者: 山下幸子

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