尼崎町(近世)

あまがさきちょう(きんせい)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
近世の尼崎町
近世の尼崎町

  1617年(元和3)に尼崎藩として入部した戸田氏鉄の時代から次の青山幸成の時代にかけて、町場8町と侍町・寺町から成る新城下町尼崎町が建設された。町の本高(本地子)は600石、町の南にある葭島の高は17世紀の間は68.12石、1735年(享保20)95.597石、1837年(天保8)123.545石(534.113石とも、独立新田の高を含むか)であった。町人人口は1669年(寛文9)に1万4,098人、1734年1万6,494人、1788年(天明8)1万2,008人、1838年9,671人と推移した。町の経済活動では、繰屋・繰綿中問屋や、灘酒用樽巻きの菰や縄を集荷する荒物仲間7(以下数字は1838年の軒数、舟は艘数)のような近接地域内での取引活動もみられたが、それよりは干鰯屋・生魚問屋10・上荷問屋13・荷問屋(酒屋荷物等)6・塩問屋6・材木屋5など、隔地間流通にたずさわる中央市場的性格の業種の活動が、過書船渡海船266・漁船の多さとともに目立った。

執筆者: 八木哲浩

関連項目

案内
検索

  
ヘルプ
ツール
索引