阪急電鉄

はんきゅうでんてつ
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  阪急電鉄の前身である箕面有馬電軌(1907年・明治40創立、現在の宝塚線)は1913年(大正2)十三〔じゅうそう〕駅から分岐し伊丹を経て門戸〔もんど〕にいたる路線の免許を得、すでに創立準備中の灘循環電気軌道に接続して阪神間直通路線の実現を計画していた。ところが翌年灘循環が資金難となったので阪神電鉄がその特許線を買収し、尼崎-岩屋(現神戸市灘区)間の増設計画線と接続して阪神間直通路線の実現を期した。その後箕有・阪神両社の間に交渉がすすめられた結果、1916年4月箕有が灘循環を買収合併することになり、その後両社間で訴訟となったが、結局1918年12月上告審で箕有側の勝訴となった。それに先立ち同年2月箕有は阪神急行電鉄と社名変更し阪神間直通路線の建設に着工した。そのさい灘循環の特許線は伊丹経由であったのを直通路線に計画変更したので、伊丹町・園田村その他関係町村から強い反対が起こった。それにたいして当初の計画変更より少し迂回となる塚口駅経由の現在線をとり、塚口-伊丹間の支線を建設することに決定した。1920年7月神戸線・伊丹支線は同時に開通した。その後1936年(昭和11)に園田駅1937年武庫之荘駅が設置された。阪急電鉄はまた大正末期から電力・電燈の供給事業をはじめ、塚口・園田・武庫之荘駅周辺で住宅地の経営を行なっている。1943年政府の私鉄合同政策によって阪急電鉄は京阪電鉄と合併して京阪神急行電鉄と社名変更した。1949年にが現京都線を残して京阪電鉄は分離したが社名は変更せず、1973年に現社名の阪急電鉄に改称した。

執筆者: 山崎隆三

参考文献

  • 『阪神急行電鉄二十五年史』 1932
  • 『75年のあゆみ』 1982 阪急電鉄

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