三市一町合併問題

さんしいっちょうがっぺいもんだい
阪神広域行政都市協議会より転送)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  阪神間では、1952年(昭和27)に神戸経済同友会によって「阪神都市」建設が提唱され、1955年には、関西経済連合会のサポートもあり、大阪・尼崎・西宮・芦屋・神戸の5市による阪神都市協議会が、1961年2月には芦屋・西宮・尼崎・伊丹・宝塚・川西の6市と猪名川町による阪神広域行政都市協議会が設置され(1983年2月三田市が加入)、各圏域に共通する交通、ゴミ・屎尿、公害問題等に対処しようとした。

  このような、いわゆる広域行政の一環として、1957年2月に、尼崎・伊丹・川西の三市連絡協議会が生まれ、これに翌1958年2月猪名川町が加わって三市一町連絡協議会が発足し、広域行政に関する調査研究・計画策定に取り組んだ。阪急電鉄伊丹線の尼崎・川西への延伸や能勢電鉄の伊丹までの延伸など南北交通網の整備促進を協議する過程を通して、1966年6月には三市一町合併調査協議会と改称された。この間1962年から1963年にかけては「阪神広域市構想」(阪神広域行政都市協議会を構成する6市1町を対象エリアとする構想)も提唱された。三市一町による「阪神市構想」はこの「阪神広域市構想」のミニ版であったが、各市町間の利害対立もあって実現せず、協議会の名称も1974年5月には再び三市一町行政協議会と改称され今日に至っている。合併問題の契機となった南北交通網の整備促進は、その後福知山線複線電化など一部分は実現したが、なお多くの検討課題を残している。また、阪神広域行政圏の副次圏域として、三市一町のあり方が改めて問題となっている。

執筆者: 真砂泰輔

  1961年2月に発足した阪神広域行政都市協議会を母体として1985年以降関係市町が検討を進めた結果、「大都市周辺地域振興整備措置要綱」(1977年自治省制定)を取り入れた広域総合計画策定の必要性が合意され、1988年10月1日、同じく尼崎・西宮・芦屋・伊丹・宝塚・川西・三田の7市及び猪名川町1町により構成される阪神広域行政圏協議会が地方自治法第252条の2にもとづく協議会として発足した。任意団体である阪神広域行政都市協議会はその後も存続したが、2003年3月31日をもって廃止され、事業は阪神広域行政圏協議会に吸収統合され一本化された。その後、2010年3月31日をもって阪神広域行政圏協議会は廃止された。

執筆者: apedia編集部

参考文献

  • 『阪神広域行政の10年』 1972 阪神広域行政都市協議会
  • 『阪神広域行政都市協議会年報-30周年記念特集号』 1991
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