食満の獅子舞

けまのししまい
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  旧中食満村では秋祭りに鎮守の境内で若中〔わかなか〕衆が奉納し、元旦には悪魔払いにムラの各戸を3人一組となって回った。1人が頭〔かしら〕を使い、いま1人は頭に続くユタン(胴の部分)を首に巻いて笛を吹き、もう1人は祝儀受けとして幣と鈴を持ち続いた。総領は笛を、二男以下は頭の使い方を祭りの1,2か月前から半強制的に練習させられた。しかし、大正の末ごろから人手が足りなくなり、しだいにすたれていった。旧上食満地区(現食満3丁目辺)では一時途絶えていたのを復活・継承していこうと、1965年(昭和40)有志で保存会を発足させ活動を続けているが、後継者不足の悩みがある。大正の末ごろから昭和の初め(1925年前後)には市域の各地にも獅子舞が残っていた。

執筆者: 山下幸子

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