1965年

出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
世紀:19世紀 - 20世紀 - 21世紀
年表 10年紀:1940年代 1950年代 1960年代 1970年代 1980年代
周辺の年:1962年 1963年 1964年 1965年 1966年 1967年 1968年

昭和40年

  • 1月
    • 尼崎市役所の電子計算機が稼働を開始し、1月分からの職員給与計算及び昭和40年度分の市民税・固定資産税等の事務に利用された。
    • 尼崎地区同盟会議を母体として、全日本労働総同盟傘下の尼崎地区同盟が結成された。
  • 3月8日 - 神戸地検尼崎支部と尼崎区検が水堂に移転し業務を開始した。
  • 3月16日 - 長遠寺鐘楼・客殿・庫裏が兵庫県指定重要文化財に指定された。
  • 3月31日
    • この年に着工する5か年計画の大物川埋め立て工事に先だって、国道2号以南の大物川について河川廃止が告示された。
    • ニチボー尼崎工場が閉鎖された。
  • 4月1日
    • 尼崎製鉄が神戸製鋼所に合併し、神戸製鋼所尼崎工場となった。
    • 尼崎市は武庫地区の一部に対して市内初の住居表示を実施した。
    • 「尼崎市市民年金条例」が公布された。
    • 「兵庫県公害防止条例」が公布された。
    • 兵庫県立西武庫公園が全面開園した。
  • 4月11日 - 尼崎港第2閘門が完成した。
  • 5月1日 - 市立尼崎第二養護学校が金楽寺小学校内に仮校舎を置く形で設立された。
  • 5月 - 県道五合橋線と国鉄東海道線の立体交差が開通した。
  • 7月12日 - 国立公衆衛生院は、世界保健機構(WHO)の依頼により尼崎の大気汚染の人体への影響調査を開始した。
  • 7月21日 - 若王寺遺跡の調査が始まった。
  • 9月6日 - 関西電力尼崎東発電所が石炭重油混焼方式の運転を開始した。
  • 9月28日 - 田能中ノ坪の工業用水道配水場工事現場から大量の弥生式土器が出土したことが、尼崎市水道局の職員から市教育委員会に報告された(田能遺跡)。
  • 9月 - 尼崎市は公害対策の一環として、中小企業公害防止設備資金融資制度を開始した。
  • 10月1日
    • 田能遺跡の調査が開始された。
    • 国勢調査の結果、尼崎市の人口が50万人を超えた。
  • 11月8日 - 地元商業団体等が反対しているダイエーの尼崎進出について、関西主婦連会長らが賛成し、尼崎市商工課長に斡旋を要請した。
  • 11月9日 - 主婦の店ダイエー進出反対大会が尼崎商工会議所で開かれ、商店主など約1,000人が参加したと報じられた。
  • 11月16日 - 尼崎市吹奏楽団が市文化会館で第1回演奏会を開いた。
  • 11月 - 尼崎市は、10月1日施行の「兵庫県公害防止条例」にもとづくスモッグ情報発令および「ばい煙の排出の規制等に関する法律」(ばい煙規制法)にもとづくスモッグ注意報・警報発令制度の運用を開始した(大気汚染)。
  • 12月1日 - 阪神福祉事業団によって西宮市山口町に精神薄弱児施設ななくさ学園が開設された。
  • 12月16日 - 神戸拘置所尼崎支所の田近野移転への反対を宝塚市議会が決議した。
  • この年 - この年から1967年にかけて、小田・大庄・立花・武庫・園田の各支所が鉄筋コンクリート造りに建て替えられ、さらに増築工事も続いた。
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