高岩進

たかいわすすむ
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  1909年(明治42)11月3日 - 1970年(昭和45)12月31日

  旧姓田口。佐賀県西松浦郡(現伊万里市)に生まれる。尋常小学校卒業後、父の死を機会に1924年(大正13)大阪に出て藤永田造船所に仕上工見習いとして就職した。同年5月初めてメーデーに参加、以後労働運動に従事するようになった。翌1925年共産党に入党、同年の総同盟第1次分裂に際しては日本労働組合評議会創立に、1927年には労働農民党に参加した。1928年3.15事件で検挙され、1931年まで獄中にあった。1931年仮出獄後総評に参加、1932年には関西地評書記長に就任し、合法左翼の活動に従事したが、1937年人民戦線事件で検挙された。1944年治安維持法違反に問われ検挙され、敗戦を獄中で迎えた。戦後、労働運動・政党再建に参加、社会党尼崎支部・総同盟尼崎地方協議会の結成に携わった。1947年尼崎市長選に出馬するも落選。1950年日本社会党の分裂に際しては左派に所属し、1951年より兵庫県会議員に当選(以後4選)、1954年には左派社会党県連書記長に就任した。1958年尼崎市長選に再度出馬したが落選。

執筆者: 福永文夫

参考文献

  • 『一筋の道-高岩進追悼記念』 1971 高岩登与乃
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