久保田鉄工神崎工場

くぼたてっこうかんざきこうじょう
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  石綿管(パイプ)がわが国で初めて製造されたのは1932年(昭和7)のことで、旺盛な需要に支えられ生産量は年々増加を続けたが、戦時中には原料の輸入困難からほとんどの工場が生産中止に追い込まれていた。戦後になって石綿(アスベスト)の輸入が再開され、石綿関連産業が復興期に入ったころ、1951年の鉄鋼補給金撤廃による鋳鉄管の値上がりが、石綿管の需要を急増させた。このため、久保田鉄工では石綿セメント管の製造販売を計画し、1954年4月1日、長洲字深田(現浜1丁目)に石綿管専門の神崎工場を建設、生産を開始した。同年8月27日には最初の製品を出荷し、翌1955年5月には設備を増強して月産3,000トンの生産体制となった。

  その後神崎工場では、1971年に住宅用壁材、1975年10月に環境関連機器の製造を開始し、同年11月には需要の減少で不振が続いていた石綿管の生産を停止。1982年2月に神崎工場の生産縮小を決定し、生産設備の一部を他に移転することで確保した3万8,700m2の敷地に、1984年、技術開発研究所を開設した。生産規模を縮小した神崎工場は、1984年に新淀川工場神崎分工場、1988年に大浜工場神崎分工場と改称したのち廃止され、旧神崎工場の敷地はクボタ本社阪神事務所となった。

  2005年(平成17)6月29日、クボタは旧神崎工場従業員の石綿による健康被害について発表。その後周辺住民にも被害が出ていたことが判明するなど、石綿が全国的な社会問題となるきっかけとなった。2006年4月17日、クボタは石綿を扱ってきた企業の社会的責任から、従業員や周辺住民などの患者・遺族に対する4,600万円を上限とする救済金制度を創設し、患者会などと合意したと発表した。

執筆者: apedia編集部

参考文献

  • 『久保田鉄工八十年のあゆみ』 1970
  • 『クボタ100年』 1990

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