国人

こくじん
国衆より転送)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  南北朝時代から戦国時代にかけての在地領主の呼称。国人の当時の読みは「くにうど」と思われるが、歴史学上は音読みする。国衆は国人と同義語。鎌倉時代いらい地頭・御家人から、土豪・地侍・有力名主層までのひろい階層を含んで用いる研究者と、土豪・地侍以下とは区別し、有力在地領主に限定して用いる研究者とがあり、研究者間で国人の概念と用語法は必ずしも一定していない。鎌倉時代の後期、幕府を信頼しなくなった在地領主は、鎌倉前・中期のように御家人となる道をえらばず、地域的に相互に連帯して行動することが多くなった。南北朝内乱期以降、彼らは一郡、あるいは一国の政治・軍事情勢を視野に入れながら行動することが多く、「国人」「国衆」あるいは「国の面々」などの呼称が生まれた。国人は、通常地頭職・下司職・公文職などの荘園の所職や、名主職・地主職などの所領をもち、本拠地に館や小さな城を構え、富松氏、田能村氏、伊丹氏などのように、本拠地の地名を姓とすることが多い。国人は、政治的な条件次第によっては国人一揆を結成し独自の地域的な政治権力を目ざすこともあるが、南北朝時代中期以降、守護領国制の展開とともに、守護のもとに被官とよばれて組織されることも多かった。しかし守護被官の国人は守護権力から相対的に自立性が強く、国人相互の矛盾の激化とともに、守護家を分裂させてゆく。摂津の国人の多くは守護細川氏の被官となったが、応仁の乱中より細川氏から離反する傾向が顕著になり、戦国時代には、分裂抗争をくり返すことになる。

執筆者: 熱田公

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