住友伸銅所争議

すみともしんどうしょそうぎ
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  1922年(大正11)2月6日のワシントン軍縮条約調印にともない、6月20日、住友伸銅所では大量解雇が決定され、翌21日、尼崎工場も製線、製釘部門閉鎖による124人の指名解雇、製鋼・鋼管ほかの諸部門縮小による退職奨励が通告された。これに反対して怠業が22日に尼崎工場で始まり、翌23日は大阪本工場にも波及した。26日には尼崎工場でも指名解雇に150人を追加、大阪伸銅工組合幹部がほぼ網羅された。29日の操業再開とともに、争議団の結束は崩れ、7月1日、組合側が惨敗宣言を発して争議は終結した。尼崎工場では従業員670人の半数をこす356人が解雇され、伸銅工組合は大阪本工場ともども一掃されて、前年8月発足の工場協議会が確立した。

執筆者: 岩村登志夫

参考文献

  • 福本茂雄「総同盟大阪連合会と労働委員会(2)」『大阪百年史紀要』 3 1966 大阪府史編集資料室
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