八十島役

やそしまやく
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  八十島祭の費用にあてるため賦課された租税。八十島祭は熊川尻すなわち淀川の河口で、即位儀礼の一環として行なわれたみそぎの祭儀で、文献にあらわれるのは「文徳実録」の嘉祥3年(850)9月条が最初であるが、古くから行なわれていたと推測されている。その費用は国庫から支出されていたと思われるが、平安時代に入って国家財政が困難になってくると、その費用を捻出するため荘園・公領一律に、臨時の租税を八十島役として賦課するようになる。1191年(建久2)11月に行なわれた後鳥羽天皇のための八十島祭にさいして、摂津の国司が、国内の荘園の八十島役徴収には官使を派遣して厳しく督促して欲しいと要求したことが「玉葉」にみえている。このとき市域にあった東大寺領猪名荘も同役を負担したらしいが、のち1198年(建久9)10月にいたって免除の権利を獲得したことが、「東大寺文書」の断片から推測される。

執筆者: 長山泰孝

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