兵庫岡方文書

ひょうごおかがたもんじょ
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  兵庫岡方に伝存されている近世以来の文書・記録・絵図などをいう。兵庫津は、江戸時代人口約2万の海陸の要地で、そのうち岡方は西国街道兵庫宿の管理など陸役を受けもち、石高2,600石余の地方〔じかた〕を包摂する町々から成り、惣会所があって、名主・惣代を中心に町政に当たってきた。市制以後も、共有財産管理のため、岡方関係町の団体として活動を続け、その間の文書や記録も保存してきている。これら文書類は、戦時疎開などのためかなり分散したが、なお布達・土地・租税・町政(区政)・救恤・交通などの各面にわたり、時期も近世初期から昭和におよんでいる。主なものに、1602年(慶長7)「兵庫屋地子帳」、1681年(天和元)「兵庫津検地帳」、江戸後期の免状、1612年(慶長17)「片桐且元判物」、1764年(宝暦14)「朝鮮人来朝帰帆官録」、1866年(慶応2)「積善録」、1872年(明治5)「兵庫駅所日記」、有栖川宮熾仁親王書「明親館」扁額などがある。当文書および兵庫の旧家・寺院の文書を岡方協議会が解読し、神戸市教育委員会が『兵庫岡方文書』として順次発刊している。

執筆者: 荒木治

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