国造

くにのみやつこ
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  大和国家の地方官。のちの律令制の郡にあたる地域に2ないし3の国造がおかれ、最終的には百数十の国造が存在した。国造に任命されたのはその地方でも最有力の豪族で、直〔あたい〕の姓〔かばね〕を与えられるのが普通であるが、なかには臣〔おみ〕・君〔きみ〕(公)などの高い姓をもつものもあった。国造には部民や屯倉〔みやけ〕の管理が委ねられ、地方の特産物や馬・武器などの貢献を命じられたらしい。また国造が率いる国造軍は、大和国家の重要な武力を構成していた。国造制の成立の時期については、4世紀末から5世紀初めという早い時期に求める説もあるが、現在では、5世紀以降に在地の支配関係の動揺を背景に成立したとする説が有力である。摂津国には独自の国造が存在せず、凡河内氏が河内国とともに摂津の沿岸地域をも支配したと思われる。

執筆者: 長山泰孝

参考文献

  • 新野直吉『研究史 国造』 1974 吉川弘文館
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