岡院

ごいん
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  「ごえん」とも発音する。園田地区の旧村名。市域北東部に位置する。古墳時代の遺物である岡院の石棺が残っている。史料上の初見は1605年「慶長十年摂津国絵図」でゴウインと記されている。岡陰、岡印と記す史料もある。

  近世初期には幕府領または大坂城代領で、1648年(慶安元)村の大部が大坂定番上総国飯野藩保科氏の領地となり、小部は幕府領または大坂定番領、1694年(元禄7)(あるいは1686年・貞享3とも)武蔵国忍藩阿部氏(忠吉系)の領地、1823年(文政6)幕府領、1828年(文政11)尼崎藩領となった。村高は「慶長十年摂津国絵図」「元禄郷帳」「天保郷帳」のいずれにも181.15石とある。三平井組に属した。氏神は素盞嗚神社(近世には牛頭天王社)であったが、1909年(明治42)旧万多羅寺の素盞嗚神社に合祀された。

  同村と北隣の万多羅寺とは飛び地が錯綜しており、境界が定めがたく地籍編制に差し支えるという理由で1881年12月28日に合併して御園〔みその〕となった(岡院村・万多羅寺村の合併)。合併後の1909年の陸地測量部地形図では旧万多羅寺の集落が御園、旧岡院の集落が岡院と記されている。御園は1982年(昭和57)~1991年(平成3)の住居表示により御園および、塚口本町の一部となったほか、一部が東塚口町・上坂部・口田中となった。

執筆者: 地域研究史料館

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