戎神社

えびすじんじゃ
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  かつて旧尼崎町では戎社が数社を数えた。このうち中在家町の浜戎(近代には事代主〔ことしろぬし〕神社)は現在は祠を残すのみとなり、築地町西浜の恵比須神社も今はなく、市庭町の市蛭子〔いちえびす〕神社は1915年(大正4)西本町貴布禰神社に合祀された。現在「尼のえべっさん」として親しまれている神田中通3丁目の戎神社は、かつて別所村字内畑(現西本町5丁目)にあった同村の氏神で、近世には戎太神宮と称した。『尼崎志』は正和年間(1312~1317)に近江坂本の日吉神社に属する一社が尼崎に祭られ、のち別所町と別所村に分社、うち別所村の分社が戎太神宮で、建立の時期は境内石灯籠の刻文から1662年(寛文2)またはそれ以前としている。また別所町の分社初島恵比須がのち築地町に移り、現在の初嶋大神宮となったとしている。

  戎太神宮は近代には事代主神社となり、昭和初年ころ戎神社と改称した。1945年(昭和20)、社地が家屋疎開用地に指定されたが、撤去前に敗戦となったため、現在地に移転したのは1952年のことであった。「明治12年神社明細帳」(『地域史研究』第6巻第3号)には、祭神は事代主命・応神天皇・大国主命〔おおくにぬしのみこと〕・猿田彦大神〔さるたひこのおおかみ〕、境内に一社があり金山彦神社・天満宮社・皇大神社・愛宕神社・稲荷神社を祭るとある。

  現在の祭神は八重〔やえ〕事代主命・大国主大神・誉田別大神〔ほんだわけのおおかみ〕・猿田彦大神。別名倉持戎大宮、あるいは「ちぢみさん」とも呼ばれている。

執筆者: 地域研究史料館

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