戸田氏(氏輝系)

とだし(うじてるけい)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  東三河の田原城(現愛知県田原市、旧渥美郡田原町)にいた有力国人。西三河から東進して三河統一を進める徳川氏に帰属した。嫡系は二連木〔にれぎ〕の戸田(松本藩として定着)、氏輝系はその庶家である。1529年(享禄2)に氏輝、清康・広忠の近習となる。1564年(永禄7)氏光、今川氏の三河吉田城を攻め、以後しばしば家康に従って戦った。1590年(天正18)の小田原征伐後、徳川家康の江戸入府に従い、一西〔かずあき〕が家康から武蔵国5,000石の分封地をうけた。関ヶ原の戦い後1601年(慶長6)大津(現滋賀県大津市)3万石の大名となり、命じられて膳所〔ぜぜ〕ヶ崎に城を築き、そこに在城した。居ること16年、大坂の陣1617年(元和3)、一西の子の氏鉄が尼崎最初の譜代大名として、5万石で入封した。ここに大坂の西の守りとして、命じられて新城を築き、近世城下町尼崎を建設した。尼崎在城は氏鉄1代で、1635年(寛永12)美濃国大垣藩(現岐阜県大垣市)10万石に転じ、その地に定着した。

執筆者: 八木哲浩

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