摂津職

せっつしき
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  律令制度のもとで国の行政を担当したのは国司であったが、摂津国だけは「職」という特別の行政機関が置かれていた。摂津職は、中宮職や左右京職と同じように大夫〔かみ〕・亮〔すけ〕・進〔じょう〕・属〔さかん〕という四等官によって構成され、京官としての待遇をうけた。摂津国に職という特別の行政機関が置かれたのは、この地に副都としての難波宮が存在し、また外交・内政の両面で重要な役割をはたした難波津を擁していたためで、宮と津を管理するとともに、摂津国の行政を兼帯する機関として置かれたのである。摂津職は793年(延暦12)3月に廃され、摂津国の行政は国司によって行なわれることになったが、その理由は「難波大宮既に停めらる」(類聚三代格)ということで、摂津職が副都としての難波宮の存在と密接なかかわりをもつものであったことが知られる。

執筆者: 長山泰孝

参考文献

  • 『大阪府史』第2巻 1990
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